トップ > 行事・活動 > 第19回応化昭和49年卒同窓会
2018年10月18日

第19回応化昭和49年卒同窓会

 2011年以降毎年開催している応化昭和49年卒の同窓会を、今年も2018年9月9日・10日の2日間20名(部分参加者含む)が参加して開催した。場所は、昨年の金沢での第18回同窓会で決めたとおり熱海温泉とし、1日目は全員で熱海市内を観光した後、宿泊ホテルで宴会を行い、2日目は初の試みとして、希望により引き続き市内観光をするグループと伊豆大島を観光するグループに分かれて行動することとした。毎年のように参加している者ばかりなので、昨年の同窓会の続きのような雰囲気で始まり、いつもどおり若干騒がしくも和やかで楽しい同窓会となった。

 9月9日12時30分に熱海駅前に集合した後、女性ボランティアガイドの陽気なYさんといつのまにか関西弁になったAさんの案内で、駅前にある小田原と熱海を結んでいた軽便鉄道の機関車前からスタートし、熱海七湯、湯前神社、大湯間歇泉等を経て、金色夜叉のお宮の松に至る名所旧跡を見学した。暑い中ではあったが、終始笑い声の絶えない楽しい観光となった。その後、宿泊するホテル(読売ジャイアンツが納会を開くことで有名な熱海後楽園ホテル)に移動して荷物を預けた後、近くにあるロープウェイに乗って錦ヶ浦山頂の熱海城を見学し、熱海の絶景と各種の展示を楽しんでホテルに戻った。

 夜はメーンイベントの宴会を行った。開始前に、亡くなった4人の同窓生の冥福を祈って黙とうをささげた後、いつものように各人が近況報告をし、6月に大阪を襲った地震や直近の台風の話、病気や健康維持の話、終活の話、孫の話等々いろんな話が飛び出して大いに盛り上がり、あっという間に予定の時間が経過した。その後は、幹事の部屋に場所を移して恒例の二次会となり、樋口君の特技であるハーモニカ演奏の披露もあって引き続き盛り上がった。次回同窓会に関しても話し合ったが、結局結論は出ず、関西組が幹事をすることだけを決め、詳細は年内に開催する予定の大阪ミニ同窓会で決めることとなった。

 2日目はあいにく雨が降ったりやんだりの天気であったが、予定どおり2班に分かれて観光した。市内観光グループ12名は、午前中、東武鉄道の創設者根津嘉一郎により建てられた別荘を中心とし、多くの文豪たちにも愛された起雲閣を、我々とは正反対の上品なガイドのOさんの案内で見学した。昼食に「季魚喜人(きときと)」でボリュームたっぷりの漁師丼を食べた後、バスでMOA美術館を訪れ、喜多川歌麿をはじめとする江戸時代後期、寛政期から文化・文政期の浮世絵黄金期の多数の作品や、野々村仁清の「色絵藤花文茶壷」(国宝)をはじめとする陶磁器等々を鑑賞し、作品はもちろんのこと美術館の立地や建物を含めて大いに堪能した後、熱海駅に移動して解散した。

 大島観光グループ4名は、熱海港からジェット船(水中翼船)に乗り45分ほどで岡田港に着き、レンタカーで三原山山頂口を目指した。駐車場から内輪山の頂上までは往復6㎞の歩きとなり、腰の悪い1名は残り、更に1名が途中でギブアップしたため、ずぶ濡れになって火口までたどり着いたのは2名であった。予定していた裏砂漠はレンタカー会社の忠告で中止し、南端の波浮港に移動して、名物のべっこう寿司と地物にぎりの大満足の昼食をとり、最後に大島を一周した。ほとんどが断崖絶壁で砂浜はほとんどなく、特に「地層切断面」は圧巻の風景であった。数百回に及ぶ噴火活動でできた数百層の地層が、断層のようになったり波状にうねって高さ30m長さ800mほど続いていた。天候は悪かったが大島の観光を十分満喫し、ジェット船で竹芝桟橋まで帰り解散した。

 今回の同窓会は、幹事の川田君と花畑君、そして出席できなくなった花畑君の代わりに直前に急遽バトンタッチされて幹事となった樋口君の3人の綿密な準備と気配りで、みんな十分楽しめたと思われ、感謝したい。健康を維持して、年1回の同窓会を今後も長く続けたいという思いを、全員がより強くしたのではないかと思う。

(藤本 記)

同窓会集合写真


1. 貫一お宮銅像前(氏名)
<後列> 喜多 秋本 樋口(博) 宮崎 高尾 栗本 村瀬 船木 山田 酒井 中辻 新沢 阪本
<前列> 浅井 奥埜 藤本 多田 小原 川田

2. ホテル宴会時(氏名)
<後列> 中辻 阪本 秋本 栗本 樋口(博) 
<中列> 宮崎 山田 村瀬 奥埜 河崎 小原 船木 浅井
<前列> 喜多 藤本 多田 高尾 新沢 川田