応化昭和37年卒同窓会(我楽多会) 入学60周年記念
日時:平成30年(2018年)9月11日(火)~13日(木)
場所:石川県和倉温泉「のと楽」
大学入学から60年となった2018年、3年ぶりの同窓会「我楽多会2018」を開催。これまではいつも太平洋側の土地を会場にしての開催だったが、今回は初めて日本海側、石川県での開催となった。殆どのメンバーが、昭和33(1958)年の入学であるから、入学から60年(還暦)となる。卒業時59人居たメンバーも41人と約7割に減った。前回同窓会開催時以降の3年間に、飯塚泰裕、山路禎三、安達修の3氏が亡くなっている。生存者41人全員と連絡は取れたが、元気でも来れない人、体調不良で欠席の人、遠くだと万一の時が心配で欠席の人などがいた。しかし、遠くは、地震で停電の続いた北海道や、四国からの参加者もあって、和倉温泉に集まったのは総勢28人、メンバーの約7割の出席だ。
11日は、田口杯囲碁大会参加の9人と世話人が同じ列車で到着、車内から囲碁の話題で盛り上がっていた。大会は午後1時から翌12日正午まで4面の碁盤を囲んで熱戦を繰り広げ、優勝して田口杯を手にしたのは山地献三6段。山地君は、囲碁大会担当の世話人で、自分で優勝を仕込んだとの噂。大会中には、田口哲朗元アマ本因坊から、「AIと囲碁」と題する講話もあり、盛んに意見交換し、新しい情報に感心する場面もあった。同窓会出席者の3分の1が囲碁大会参加で、この人数は前回と同じ。碁を打つ人の多いのは、学生時代から田口君の影響が大きかったことを示している。
12日午後から、他のメンバーも続々と到着。夕方の宴会まで、和倉、七尾などを歩いて回る人、ゆっくり温泉につかって夕涼みをする人など、それぞれに和倉の午後を楽しんだ。午後6時20分、宴会場に集合して記念写真撮影。この時にやっと仕事を終えて飛び込んできたのが谷口邦彦君。まだ現役(?)で頑張っている。ただ一人撮影時に着替えが済んでいない。もう一人、この写真に間に合わず、宴たけなわとなってから現れたのが石川 毅君。途中下車して、山城として名高い七尾城跡に登ったのは良いが、帰りに道を間違えて遅刻とのこと。
宴会は、物故者に黙祷の後、土屋君の司会で開始。参加者の近況報告は、予め提出いただいたものを岡君が印刷、全員に配布した。この方式を取ることで、口頭での報告は一人1分に制限したが、例によって無視する人も出る始末。それでも大方のご協力で、一応時間内に終了。世話人からの欠席者の近況報告に続いて、例年通りの余興に移行。室君の手品と種明かし、吉岡君の地で谷口君の仕舞「猩々」、吉岡君の謡曲「三井寺」、そして最後に、土屋君の詩吟、上杉謙信の「九月十三夜陣中の作」と大槻磐渓の「春日山懐古」で会を締めた。
宴会後の二次会は、カラオケと飲み会に分かれた。カラオケは10人ほどで声を張り上げ、残りは幹事部屋で、山本君が現地で用意した酒とつまみで旧交を温め、お互いの近況などを11時過ぎまで話し合った。しかし、用意した飲み物も残る始末。歳を取ったと言いながらそれぞれ翌朝に備えた。定員6~8人の和室に3~4人で宿泊。自分の部屋に帰ってゆっくり話す人も居た。
13日は、朝風呂温泉の後、7時から朝食、8時に定期観光バスに乗る12人が出発。他の人は、用事で早々に立つ人、金沢や富山・宇奈月に立ち寄る人、能登半島を車で回る人などなど。
定期観光バス「あさいち号」は、和倉温泉バスターミナル8時30分発、能登島を経て、輪島の朝市・輪島塗会館を訪問。朝市では、奥能登名産のえがらまんじゅうや、輪島で捕れた魚の干物などを、それぞれお土産に購入。輪島キリコ会館で、祭りを先導する立派なキリコを見学。北前船の寄港地として栄えた頃の歴史的建造物のある黒島地区を横目に、門前で昼食。巌門では遊覧船で遊ぶ。前田家ゆかりの名刹、妙成寺では、我が国唯一の栩葺(とちぶき)屋根を持つ五重塔を拝観、心柱の説明を受けて、耐震性の機構について議論する始末。最後に海岸の砂浜、千里浜なぎさドライブウェーを走って、午後4時過ぎに金沢駅に到着。金沢で雨が降り出したが、能登半島は一日薄曇りで雨に合うこともなかった。これも皆の日頃の行いが良かったからと喜び合って、それぞれ帰途に就いた。
(写真説明)
記念写真は後列左から:松島、賀代、九津見、三木、松井、薦田、山本、後藤、吉岡。
中列左から:辻、室、山地、久保田、関原、富永、岡、重光、周々木、土屋。
前列左から:田口、大前、安田、植木、戸嶋、藤原、谷口、井上。